絞首刑を宣告。 ジョージ・W・ブッシュ 軍事法廷5日目

 

ブッシュに絞首刑宣告

 

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二人の新たな証言者が現れる。

 

12月16日の木曜日、ブッシュは、グアンタナモ湾の南法廷に弁護士の立会いなしで戻ってきた。

この日、さらに二人の証人がZOOMに現れた。

ブッシュ一家の長年の友人で、テキサスレンジャーズ師団(訳注:テキサス州の州全体の管轄権を持つ調査法執行機関)の元調査官だったリック・オズボーン氏は、9月10日の週に家族でニューヨークに休暇をとる予定だったが、被告から不吉な電話を受け8日にキャンセルしたとパネルに語った。
「彼は、その週にニューヨークでテロ攻撃が起こるかもしれないという信頼できる情報を情報部員が得たと言い、私に旅行を延期するよう促しました。私はさらに情報を求めましたが、彼はそれ以上のことは言おうとしませんでした。ただ、これは国家安全保障に関わることだから、彼のこの電話については黙っていろときっぱりと言われただけでした」とオズボーンはパネルに語った。

「法執行機関の一員として、もっと調査したり誰かに話したりする必要を感じなかったのですか?」とクランダール少将は詰め寄った。

「いったい誰に話すというのですか?彼はジョージ・W・ブッシュ、大統領なのですよ。今にして思えば、そうしておけばよかったと思いますが過去には戻れない」とオズボーンは言った。

 

国務長官イカーが証言する。

 

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パパ・ブッシュとベイカ

次に証言したのは、レーガン大統領の下でホワイトハウス首席補佐官と財務長官を、ブッシュ大統領の下で国務長官ホワイトハウス首席補佐官を務めたジェームズ・ベーカー氏であった。91歳の政治家のそばには医師がおり、鼻にはカニューレが入れられていた。なんとか呼吸をしながら彼は話そうと努力し、自分も9月10日の週はニューヨークとワシントンを避けるように言われたと語った。

「その週はニューヨークとワシントンで講演の予定があった」ベイカーは途切れ途切れにしゃべった。「9月11日の2日か3日前だったか、何日だったか覚えていないが、ダブヤから電話があり、何か大きなことが起こるからその週は家にいるようにと言われた。私はもっと情報を知りたかったが、彼は藪(ブッシュ)の周りを叩いて(遠回しな言い方をして)、洒落てるわけではない、そして沈黙した。そして彼と彼の父親は、このことを秘密にしておく必要があると私に言った。私は彼らのことを人生を通じてずっと知っているが、逆らわない方がいいと思った。もしこの意味が分かればだが、テキサス州西部には何もない場所がたくさんあるのだ」

「なぜ今になって名乗り出たのですか?」クランダール少将が尋ねた。

「私にはもう時間がないし、地獄に落ちない可能性が少しでもあるなら、そうしたいからだ」とベイカーは答えた。

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クランダール少将は、目撃者の証言とラムズフェルドのテープを合わせてジョージ・W・ブッシュディック・チェイニードナルド・ラムズフェルドが9・11の立案者であることが決定的に証明されたと主張した。

彼は、証拠として差し出すさらに「決定的な証明」をもっていたのだが、委員会は、ブッシュを有罪と判断するだけでなく、アメリカに対する犯罪で絞首刑にするよう勧告するのに十分な話をすでに聞いたといった。3人の将校はブッシュを反逆罪で有罪とし、9.11で失われたすべての人命の責任を問うた。

 

クランドール少将はこの評決を支持し、ジョージ・W・ブッシュの死刑執行日を1月4日(火)に設定した。

 

チェイニーはニュージーランドに逃げていた

ジョージ・W・ブッシュが反逆罪と殺人罪で逮捕された日、彼の元パートナーであるリチャード・ブルース・チェイニーは、ワイオミング州のジャクソン空港で、CIAが支援する不明の給油所を経由してニュージーランド行きのボーイング757に搭乗していた。軍はブッシュをクロフォードの牧場で、チェイニーをワイオミング州ジャクソンの自宅で同時に逮捕するつもりだったが「アメリカ史上最も強力な副大統領」と呼ばれるこの男は、米海兵隊が無断家宅捜査令状を持って到着するまでに逃亡した。チェイニーは少なくとも12時間前まではそこにいた。誰かが密告したのだ。

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もぬけの殻の家にあった地下道への隠し戸。

 

海兵隊員が荒れ果てた暗い家に入り、そこに直径7.6メートルの地下トンネルへの隠し戸が開いているのを見つけた。それは空港の数マイル北の、スネーク川近くにある洞窟の入り口まで続いていた。トンネルは車が通れるほど広く、海兵隊員は2台のゴルフカートと遠くまで続く新しいタイヤの跡を見たと報告している。彼らはトンネルを通り抜け、その終点で「パワーアップしたゴルフカート」と、近くにヘリコプターがタッチダウンしたことを示す滑走マークを発見した。

関係者は「チェイニーはヘリコプターで空港に向かったと思われるのだが、彼が空港にいた証拠は何もなかった。監視カメラにも映っていないし、チェックインもしていない。謎だったのだが、最近CIAが彼の逃亡を手助けしたことがわかった」と語った。

CIAと固いきずなのチェイニー。犯した壮絶なる犯罪の数々。

 

徴兵忌避者でアルコール中毒の彼は、ディープ・ステートが運営する中央情報局(CIA)と紛れもなく強い絆で結ばれている。
1974年、チェイニーはCIAのために情報公開法を無効にしようとして失敗したが、その1年後にはCIAのスキャンダルの調査を弱体化させることに貢献した。1989年には冷戦の終結を遅らせ、1992年にはアメリカの世界的な覇権主義を推進し、2001年にはエネルギー政策を決定するために石油会社との仕事を隠し、2000年代には拷問と令状なしの監視を支持し、2003年のイラク侵攻から現在まで、イラクと中東を破壊する上で主導的役割を果たした。
また彼には、ホワイトハウスの副大統領オフィスで保存した電子メールが一つもない不思議な日々があり、表向きにはCIAのために、2006年にはうずら狩りのパートナーを撃つことによって市民が武装するかどうかという危険を作り出した。彼が911を仕組んだのはいうまでもない。

要するに、軍には彼の逮捕を求める正当な理由があった。しかし、CIAは彼に恩義を感じているようだ。

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軍はチェイニーを裁判にかける任務を放棄せず。

 

「チェイニーが空港で目撃されなかった理由は、ヘリコプターが彼を滑走路に降ろしたときそこに燃料が注入された757が待機していたからだとわかった。彼は757に乗り込み、すぐに離陸した。757はワイオミングからニュージーランドまで1回の給油で移動することは不可能だ。おそらくアメリカ南部のどこかで給油したのだろう。しかし、それがどこなのかはわからないし、我々の接触者はそれがどこだか教えられなかったし教えようともしなかった。しかし彼は、チェイニーは今ニュージーランドにいると断言した」と情報源が語った。

彼は最後に、軍はチェイニーを裁判にかける任務を放棄していないといった。

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