チェルシー・クリントン軍事法廷 第1日目

<Real Raw News記事を要約>

いよいよ始まったシェルシーの軍事裁判

 

f:id:tantotempo:20211029184102j:plain

10月26日、チェルシークリントン軍事法廷は、彼女の弁護人であるクリントン財団のロバート・S・ハリソンによる約1時間もの長談義でだらだらと始まった。

ハリソンは、ビルが大統領になって間もない彼女の12歳の誕生日の時から、威圧的で虐待的な両親がいかに感受性の強い若いこの女性を体系的かつ心理的に操作したかをとくとくと述べた。ハリソンはまた、いかに両親が彼女を将来のクリントン財団運営者と米国大統領になるように強制したかを情熱的に独白した。

弁護人はチェルシーがいかに不当に教育され虐げられてきたを熱弁する

チェルシーは裕福な、金持ちの、権力をもった人を尊敬し、貧乏人と恵まれない人を避けるように教えられた。裕福な人のみが普通の生活を送るに値するのであり、貧乏人は使い捨てで、いつの日かボロ雑巾のように捨てられる存在だと言われた。チェルシーは感受性が強いが意志の固い人であり、両親の世界観に盲目的には従わなかった。ほとんどの10代前半の人のように、ときどき彼女は彼らに反抗もしたが、普通の子と異なり彼女は厳し意言語を絶する罰にも耐えた。」

夫メズヴィンスキーが直に証言台に立つ

ハリソンはなおもチェルシーの少女期の物語を続けようとしたが、検察官であるJAGのクランダール海軍少将に止められた。

「われわれは13歳、14歳、15歳、または16歳のチェルシークリントンを起訴したのではない。私たちは、母親とともに何千人ではないとしても数百人の子供たちを「友人」に回したり、最高入札者に公然と売っていた子供の人身売買リングを運営していた41歳の女性を起訴したのだ。」

クランドールは最初の証人としてチェルシーの夫マーク・メズヴィンスキーを証言台に呼んた。メズヴィンスキーはクリントンとの関係と取引に基盤を築きました。宣誓のもと彼は2005年にクリントンに初めて求愛したときには、クリントンの犯罪の企てについて何も知らなかったと証言した。

f:id:tantotempo:20211029184544j:plain

クリントン一家 ── 偽装と隠蔽、現実否定のマスター

「私は1993年から一家を知っていたが、チェルシーと私は2005年まで関係を正式化せず2010年に結婚した。私はその後になるまで彼らの犯罪行為については知らなかった。」とメズヴィンスキーは言った。
チェルシーと結婚する前の12年間クリントン夫妻を知っていたが、彼らの犯罪行為に気づいていなかった?それはありそうもない」とクランドールは言った。

この言葉にメズヴィンスキーは、クリントン一家は彼らの犯罪を自分のインナーサークル以外の誰も知られないよう巧妙に彼らを遮断したいたことを説明した。また、自分の世間知らずを認め、チェルシーに夢中で二人の関係以外のすべてがぼやけていたと言った。クリントン一家は偽装と隠蔽の達人だったと付け加えた。

「彼らは本当に偽装が得意だったのか、それとも単に現実を認めなかっただけなのか?」とクランドールが尋ねると、メズヴィンスキーはその両方であると認めた。

弁護人は新証拠のために休廷を求める

そのとき、クリントンの弁護士は裁判所に電話をかける許可を求めた。彼は5分間法廷を空けて戻ってくると、クライアントを明確に免除する新しい証拠が明るみに出たといってクランドールに27日の朝まで裁判を休止するよう求めた。

クランダールはそれを認めたが「これはわれわれもやらなければいけないことがあるからだ。しかしこれ以降は、いかなる遅延も認めない」といい、27日の朝まで休廷を宣言した。