ユヴァル・ノア・ハラリ「穀潰しの大衆にはドラッグとゲームを与えよ」PART-2

 

ユヴァル・ノア・ハラリ「穀潰しの大衆にはドラッグとゲームを与えよ」PART-2

貧乏員の慰めは金持ちも死ぬということだったが、金持ちは死ななくなる。

 

歴史上、貧しい人々の大きな慰めは、「金持ちはいい暮らしをしているけれど、私たちと同じように死ぬんだから」ということでした。しかし、50年後、100年後、貧しい人々は死に続けますが、一方で金持ちは他のすべてのものに加えて死の免罪符も手に入れるという世界を考えてみてください。
例えば、脳とコンピュータが直接対話できる、ダイレクト・ブレイン・コンピュータ・インターフェイス(DBCI)のような問題を本当に解決できたら、そのときが終わりです。それで歴史は終わりです。私たちが知っている生物学はこれで終わりです。

老いや死も技術的問題だ。

もし生命が有機物の領域から広大な無機物の領域へと抜け出すことができたら、その結果がどうなるかは想像もつきません。つまり、もしよく言われる特異点(シンギュラリティ)があるとすれば、その先は想像もつかないということです。いまやわれわれはシンギュラリティの手前にいて、老いや死を技術的な問題として扱えるという思いが強まっているように思います。要するに、老いや死も癌のような他の病気と変わらないということです。アルツハイマー病や結核のようなものです。メカニズムも治療法もまだわかりませんが、原理的には人が死ぬ理由は一つであり、一つしかないのです。
つまりそれは技術的な理由であって、形而上学的な理由ではないのです。

家族やコミュニティは必要ない。国家がすべて面倒を見てくれる。


現代人は実際にやっとのことで生きていますし、多くの人が最も進んだ社会の中で孤立し、疎外された個人として生きています。多くの人々は語るべきコミュニティもなく、疎外された個人として生きているのです。
家族はとても小さな家族になってしまいました。おそらく配偶者だけか、子どもはいても1人か2人でしょう。しかも、彼らは親とは別の都市や国に住んでいるかもしれません。そして、数カ月に一度、彼らに会うだけ。それでおしまいです。

何百万年もの進化の後で、今から200年以内に突然、家族や親密なコミュニティは崩壊してしまうでしょう。何千年、何万年と家族や親密なコミュニティによって果たされてきた役割のほとんどが、国家や市場が提供する新しいネットワークにあっという間に移行されてしまうのです。子どもは必要ない。自分の面倒を見てくれる人は必要ない。病気のときに世話をしてくれる隣人や姉妹、兄弟は必要ありません。国家があなたの面倒を見てくれるからです。警察も、教育も、健康も、すべて国家が提供してくれるのです。思想の面でも、宗教の面でも。
宗教の観点から見て、今日世界で最も興味深い場所はシリコンバレーです。中東ではありません。ここでは、新しい宗教が生み出されているのです。そして、これらの宗教が世界を支配することになるのです。

------------------------------------------------------------------------------------

ここでハラリが言っている新しい宗教というのは、聖典に回答を求めたり古代の聖人の言葉や自分の内なる声に耳を傾けるというのではなく人びとが、膨大な情報を有するデータベースとアルゴリズムから引き出された「解答」に従うという宗教だ。